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アドヴェンチャーランナー高繁勝彦、PEACE RUN 2012を語る!

アドヴェンチャーランナー高繁勝彦さん PEACE RUN2011 GPSインタビュー

2011年の北アメリカ横断に引き続き、2012年9月に日本縦断ランを果たされた高繁勝彦さんのPEACE RUN 2012に、当店もGarmin eTrex30を提供させていただきました。

日本縦断から戻られた高繁さんに、インタビューしました!

今、なぜ日本縦断なのか。
震災被災地の現在の様子は?
高繁勝彦、PEACE RUN 2012を語る。

ジョイフルログ

日本縦断おつかれさまでした!現地でところどころ併走した地元のランナーの皆さんや、Twitterやフェイスブックを通じた応援の輪も、連日大盛り上がりでした。

昨年のアメリカ横断を達成した後、あえて今、日本縦断をやろうと思ったのはなぜですか?

高繁勝彦

2010年に、最北端の北海道宗谷岬から、最南端の波照間島まで日本海側を通って縦断ランしました。

今回は2度目の縦断になりますが、今回オホーツク海と太平洋側を走って縦断すれば、実質日本一周となり、それを完成させたかったからです。

と同時に、昨年の東日本大震災の被災地復興支援も兼ねて、被災地を北から順番に自分の脚で訪ね、自分のこの目で被災地を見ておきたかったという思いがありました。

ジョイフルログ

高繁さんは、7月5日に八戸に上陸してから、2週間ほどかけて、太平洋沿岸の被災地各地を走られていますね。今回、実際に現地を走って見聞した、被災地の様子を教えてください。

→ 【高繁勝彦 東北地方の軌跡を地図で見る】

東日本大震災・被災地からの報告。
高繁勝彦が出会った現地の「今」

報道ではなかなか伝わってこない被災地の「リアルな今」…

現地から聞こえてくる、切実な声とは…!

詳細を見る

高繁勝彦

【久慈】

南に行くにつれ、津波の被害が徐々にひどくなっていきます。野田村あたりから、急にがれきの山が増えていきました。

【久慈】がれきの山が目立つ野田村のコンビニで出会ったおじさんの話

「宿戸駅と陸中中野駅の間が津波にやられたんだね。水に浸かった駅もあるし、電車が水に浸かったり、線路が流されたり…。でもここ(八戸線)は一年ちょっとで復活したからね。被災した地域じゃ、一番早く全線もとに戻ったって言うからね」

高繁勝彦

【宮古】

山田町では鉄道の線路も流され、駅のホームだけが残されていて、道路の歩道も津波で崩壊したままのところが残されていました。仮設の商店街もこのあたりから見られるようになりました。

【宮古】線路が流され駅のホームだけが残されていたところに、自転車でやってこられた買い物途中の男性の話

「津波の水が引いた後がショックだったな。歩道もアスファルトがはがれて、線路を走っていたはずの電車が住宅の中に流れてきてたからね。地獄を見たかのような気分だった…」

高繁勝彦

【釜石】

新日鉄釜石も早くに復興していたようですが、がれきの山は今だ処理しきれず、あちこちに積まれたままになっています。

【釜石】駅近くで商店を営まれていた女性の話

「駅前の道路まで水に浸かって、水が引いたあとも津波に飲まれて亡くなられた方の遺体があちこちにあってね、動かなくなった車もそこらじゅうに散らばってたわ」

【釜石】神戸から来ていたボランティアの話

「3.11のあと1ヶ月くらいしてからここに来ています。当初は泥のかき出しなどでたくさん人が入ってきてたけれど、今はインフラの工事に関わる人たちが中心に動いているので、ボランティアの数もかなり減りました。被災した方々の中には、生き甲斐がない…といった人が増えています。ワークショップの取り組みで、そういった人たちの話を聞いたりするボランティアをやってますけど、今はメンタル面でのサポートが必要な時期なんでしょうね」

高繁勝彦

【陸前高田】

町の施設の大半が海岸沿いの平野部に固まっていて、町のほぼすべてが津波に飲まれ、壊滅的な被害を被ったというのが衝撃的でした。

【陸前高田】テントを張らせてもらったスーパーの店長さんの話

「ここは町の施設の大半が海岸沿いの平野部に固まっているんで、町のほぼすべてが津波に飲まれてどうしようもなかったんですね。役場も仮設住宅も今みんな高台にあるでしょ。次に津波が来てもあの高さなら何とか…なって欲しいけどね」

「ここもかなり人口が減りました。もう町として機能させていくのは難しいんじゃないですかね。私はね、みんなに元気出してもらうために早い時期に店を復活させました。生きるためには食べることが一番。今は食べ物もたくさん入ってきますが、当初はいろんなものが不足して、救援物資が届いてもすぐなくなりましたね。お金もモノもない時にわずかの食べ物があるだけでも救われます」

【気仙沼】たまたま入ったラーメン屋さんで出会ったNTTの工事関係者の話

「震災の後はずっと働きずくめだよ。ケーブル関連の工事をやってるんだが、休んだのは年末年始だけ。車の移動も大変なんだけど人が足りないから仕方ないんだけどね。家族とほとんど顔合わせてないな。まだまだ時間かかるよ、復興には…」

【南三陸町】志津川の観光センターの女性の話

「町から人がいなくなると町そのものが機能しなくなります。私も子供たちのことを考えて震災直後は大きな町に移ることを考えていましたが、今は違います。生まれ育った町だから、やっぱりここを離れることはできません。少しでも町がよくなるために今はここで仕事をしています」

「これまでテレビ局や新聞社の方々もたくさん来られましたが、世間で報道されていることっていうのは、ここで現実に起きている、あるいは起きたことの一部でしかないんですよね。それに、この先も東日本大震災のような震災が他の地域でも起こることは十分考えられます」

「3.11のあとは人とのつながり、地域とのつながりをより意識するようになりました。大切なことなんです、こういうことって。お金を稼ぐことなんかよりも、実は大切なんだと思っています」

高繁勝彦

【松島】

観光地ということで復興もそれなりに進んではいるようですが、場所によってはやはり津波の被害の跡が残っていました。

【松島】泊まっていたホテルのマネジャーの話

「津波の被害に遭った旅館やホテルもたくさんありました。観光地ということで、地域も復興には力を入れてくれたと思います。でも、場所によっては津波の爪あとが残っている場所もまだありますからね。私のところも50センチくらい浸かりましたよ。幸い被害が少なかったので、すぐに営業再開できました。でも、海の近くに住んでいるということは、次にまたいつ津波が来るかも分からないので、心の準備はしておかないといけないと思うようになりました」

高繁勝彦

【仙台】

宮城では一番大きな町で、中心部は何事もなかったかのように見えるのですが、町から外れると仮設住宅も多数ありました。

【仙台】仮設住宅近くのスーパーで缶コーヒーを差入れしてくれたおばさんの話

「宮城では仙台が一番大きな町で、町の中心部にいるだけじゃ何事もなかったかのように見えるけど、このあたりはもと田んぼで、今は仮設住宅なのよね。人口が多く、人の行き来がある町は復興も早いんでしょう。電気や水道は比較的早かったんじゃないかしら。でも、市内から離れて小さな町に行くと状況は違うのね。やっぱり町と田舎で差別されているのかな…そんなふうにも感じるけど…」

高繁勝彦

【相馬】

漁港周辺がすべて津波にやられ、津波の死者もかなり多かったと聞いています。

地元の公立小学校を訪ねました。家が被災した子供も多数いましたが、幸い亡くなられた子供はいなかったようです。隣の地区の小学校では今も遺体の見つからない子供がいるとのことでした。

【相馬】被災エリアを車で案内してもらう中で聞かされた復興支援センターの理事長さんの話

「漁港周辺はすべて津波にやられたんだね、壊滅的だったね。そこ(水産加工所の事務所)の時計が停まってるだろ。あの時間だよ…津波の第一波が来た時間」

「津波が来ているのに、まだ道路を走っている車が何台かあって、わしらは山の高台に逃げていたんだけど、知人の車らしきものが見えて、山から大声で『車を降りてすぐに逃げろ!』って声が枯れるまで叫んだよ。結局車が津波に飲まれて、中にいる人の姿もはっきりと確認できたね。早くに車を捨てて高台に逃げればよかったものを、車に頼ることがマイナスになってしまったんだな。ショッキングな話だけど…」

【相馬】訪ねた地元の公立小学校の校長先生の話

「家が被災した子供もたくさんいましたが、幸い亡くなった子供はいません。けれど隣の地区の小学校では今も遺体の見つからない子供がいるんです。ニュースでは報道されないけれど、連日パワーショベルであちこちを掘り返している方がいるということを知っておいて下さい。復興が始まっていても、救出作業はなおも続いているんですよ」

高繁勝彦

【南相馬】

原発事故のために家を捨てて他の場所に移り住まなければならなくなった世帯が多数あります。「津波で流されれば諦めがついたものを、原発のために家に戻れなくなった」と嘆く人たちの声は、悲しいものがあります。

【南相馬】かつて漁業を営んでいた男性の話

「原発事故のために家を捨てて他の場所に移り住まなければならなくなった世帯が私を含めたくさんあります。お金やモノなどの支援は既に十分もらっているけれど、元の生活を返して欲しい…それが一番の願いです」

「原発事故のために家も車もすべて置き去りにして仮設住宅暮らしを余儀なくされています。いっそのこと津波に流された方があきらめがついたでしょうね

高繁勝彦

【いわき】

他の地域から移住された世帯も多いのですが、いわきも決して安全というわけではありません。町は普通に機能しているようですが、移り住んできた人々の思いは複雑です。自分たちが生まれ育った街に帰ることができるかどうか今もなお分からない状況です。

【いわき】福島第一原発と第二原発の間の富岡町からいわきに移り住んできた老婦人の話

「息子夫婦と孫たちはしばらくいわきに暮らしていたけれど、今は名古屋に引っ越してしまった。息子は仕事を転職してまで、家族の安全と健康のためにいろんな苦労があった。孫の健康状況がとても心配」

「水も空気も食べ物も…3.11以降何を食べても美味しいと感じることがなくなって、とりあえずは生きているけれど、生きることに疲れることが多くなった

被災地を走って、あらためて思うこと。

高繁勝彦

日本という国は、やはり素晴らしい国。東日本大震災のあと、みんながこの国のために、個人レベルで何とかしていこうという思いで頑張っている人たちがたくさんいます。

ただ、被災した地域とそうでなかった地域との格差…あるいは被災地域でも被災しなかった人たちがいます。被災しなかった地域と被災しなかった人たちにとっては、東日本大震災が既に過去のものとなりつつあるような気がします。東京や大阪などの都市でも既に東日本大震災が「過去のできごと」のように思われつつあるのが現状なのではないでしょうか。

ジョイフルログ

被災地の皆さんが、今、いちばん望まれているのはどういうことだと感じられましたか?義援金やボランティア、東北の物産を買って応援するなど、いろいろな支援の形があると思いますが…。

高繁勝彦

お金やモノの支援も当然大切なのでしょうが、一番大切なのは人的な支援だと思っています。

被災地の方の話を総合してみると、たとえば自治体がやっていることはすべてがスローで、事務的な対応ばかり。自分自身が被災した立場で普通に考えれば分かるようなことも、しょせん他人事のように扱われてしまう…。

そして3.11から時間的・物理的に遠ざかるに連れて、人々の思いがどんどん希薄になっていくというのが悲しい現実です。

現地に実際足を運んでみて、今の有様を見て、3.11で何が起こったのかをイメージしてみる…たいていの人ならそこで気づくことがあるのだと思っています。

津波も原発事故も放射能汚染も、悲惨極まるものだったと思うのですが、それよりもひどいのは人の対応なのではないでしょうか。

「人災」としか言えないような、3.11のあとに起こったさまざまなできごとが被災地の人々をさらに苦しめ、悲しませるような事態になっているような気がします。

モノもお金もボランティアも、もういらないから、
とにかく我々の話を聞いてほしい…
相馬の共同浴場で出会ったあるおじいさんの言葉が、今も耳にこびりついています。

ジョイフルログ

高繁さんは、PEACE RUNの代表として、昨年のアメリカ横断前から、独自に復興支援運動に取り組まれていますね?すでに各地で何千万円もの義援金となっていると聞いています。

高繁勝彦

今回は東日本大震災の復興支援ということで、被災地に初めて足を踏み入れました。

道路も少しずつ整備されてきてはいますが、がれきの山はいっこうに片付かず、一年半以上経ってもまだまだ復興と呼ぶには程遠い状況。

生活は元に戻りつつあるといっても、被災地の方々の精神的なダメージが、むしろマイナスに向かっているような場面もあります。

もちろんお会いした被災地の方々の多くは、前向きにポジティブな気持ちで頑張っておられます。彼らがいろんな苦難と試練に向き合っているのはたしかなことですが、それでも被災しなかった人たちの理解と協力なしでは復興はありえないでしょう。

被災しなかった我々にも継続して出来る支援が必ずあります!

その支援の一つが、市民ランナーの力で、自主的に走った距離の10倍を義援金と寄付しようという「RUN×10(ラン・バイ・テン)」運動です。私自身も、走ることで被災地を支援するこの取り組みを、継続してやっていきます!

今後も多くのランナーが被災地復興支援のために、走り続けていってほしいですね。

RUN×10運動

今回もGarminが活躍!
eTrex30のアウトドアでの打たれ強さ。

ジョイフルログ

今回は、2011年夏のアメリカ横断には間に合わなかった新機種eTrex30を提供させていただきました。使い勝手はいかがでしたか?

高繁勝彦

今回のeTrex30は、ボタン操作のため、誤って触れてしまう操作ミスがありませんでした。バッテリー寿命も長く、毎日の走った記録を保存し公開するために、機能的には何一つ不便を感じることがありませんでした。

次回のオーストラリア横断でもぜひ使いたいですね。

ジョイフルログ

eTrex30はバッテリー駆動時間の長さが特長ですが、早朝出発して、午後に走り終えるという毎日の中で、どのようなバッテリー管理だったのでしょうか。

高繁勝彦

電池としてはエネループを使用していました。晴れた日は、ソーラーチャージャーでエネループに充電していました。

1日40〜50キロ程度の走行の場合は、その日使ったバッテリーを次の日に太陽光で再チャージします。その他に予備のバッテリーを数組携帯してローテーションで運用していましたし、走っている間にバッテリー切れになる心配は皆無でした。

アメリカ横断で使ったDakota20では、50キロを超えて走るような長時間の行程のときはバッテリー切れの表示を見ることもありましたが、eTrex30ではまったくそういうことがなかったので、バッテリー寿命が格段に伸びているように体感できました。

ジョイフルログ

梅雨や台風の季節も走られましたが、eTrex30の耐久力はいかがだったでしょうか?

高繁勝彦

防水性能も不安はありませんでした。ゲリラ豪雨のような雨の中も普通に走っていました。真夏の炎天下、昔使っていたサイクルコンピュータは液晶が焼け付いて真っ黒になったことがありましたが、eTrex30ではそのような心配もなく使えました。

ジョイフルログ

eTrex30が記録した軌跡を眺めてみて、あらためてどのように思われましたか?

高繁勝彦

終わってみれば、あっという間の96日間でしたが、日本は、アメリカに比べて小さな島国です。それでも海岸線に沿って北から南に約3500キロ、二本脚で進むとなると、やはり長い距離でした。

五大陸横断ランと、
PEACE RUN 2013への展望。

ジョイフルログ

高繁さんの、次回以降の挑戦について教えてください。

高繁勝彦

来年2013年は、オーストラリア横断、パースからシドニーまで5500キロと、ニュージーランド縦断2500キロに挑みます。

特にオーストラリアは、砂漠が1200キロも続くナラボー平原が一番の難所です。これから十分な計画を練り、準備をしていきます。

ジョイフルログ

砂漠が1200キロ続くというのは、2011年のアメリカ横断のときにもなかったですね…

前回アメリカ横断を終え、そして今回日本縦断を終えて、オーストラリア横断へのイメージはどのようなものでしょうか?

高繁勝彦

前回アメリカ横断を終えた時点で、次の大陸はオーストラリアと決めていました。アメリカよりも少し距離が長くなるのと、アメリカ以上に砂漠と平原が果てしなく続くルートになります。

2013年9月、南半球の春に、オーストラリア西岸のパースをスタートする予定です。これまでと同じように1日40〜50キロ、調子が良ければ60キロは走ることを前提に、今回の日本縦断はそのトレーニングも兼ねて走りました。

山がちな日本の海岸線はさすがにバギーを押して走るにはタフすぎるほどで、三陸海岸や四国南岸、九州東岸は何度も心が折れそうになるようなコースが続きました。そんな中でもコンスタントに一定の距離を毎日走れたことで、次のオーストラリアにつなげられるという手応えはありました。

今年の夏も例年以上に厚く、東海道を走っている際には35度を超える日が続きました。昨年のアメリカ横断では48度近くの中を走っていたので、暑さも「こういうものだ」と割り切って走るしかありませんでした。

サイクリストにとってもランナーにとっても、慣れ親しんだ日本という国だって、実はなかなか走りごたえのあるフィールドなんだと伝えていきたいですね。

ジョイフルログ

アドヴェンチャーランナーとしての経歴を重ねるにつれ、ご自身の心境の変化や、あらためて考えたこと、感じられたことなどはありますか?

高繁勝彦

まず、旅を通じて、ますます多くの人たちと出会える喜びを実感しました。

それは他の旅人であったり、地元の人々であったり…みんな同じ人間、日本人、地球人という意識でつながっているんだということ。

PEACE RUNのポリシー
「みんながつながる みんなとつながる」を、
今後も大切にしていかなければという思いが強くあります。

また、PEACE RUNのサポーターの数も、旅を重ねるごとに増えてきて、それは日本だけでなく、世界各地にいろんな形で広がってきているはずです。

特に今、若い世代が、旅や冒険・チャレンジといったものとはほど遠いところにいるように感じています。社会が閉塞的になりつつあるだけに、次代の世界を担う若者たちに、いろんな形でアピールしていくのも自分の役割でしょう。

被災地復興支援のRUN×10もそうですし、日本が元気になるために、走ることを通じて、もっといろんな取り組みを考えていこうと思います。

アドヴェンチャーランナーの「道」とは。

高繁勝彦

50歳を過ぎて、たしかに体力的な面では衰えていく部分もありますが、精神的には、逆に若い頃よりも強くなっていっていると感じています。

気力が充実していたからこそ、今回の旅のさまざまな試練や困難も乗り越えてこられたのだと信じています。

世界五大陸4万キロランニングの旅、まだあと10年は走る覚悟でいます。まだ五大陸のうち北米しか走っていませんが、アジアや南米、アフリカでは、まだまだ予測できないような状況が数多く待ち受けているでしょう。

しかしどんな道であれ前に進んでいくしかありません。

その場その場で柔軟に対応する、あらゆる状況に対して寛容に受け入れる…これがアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦の走る道です。

決して無理することなく、あせらずあわてずあきらめず、ゆったりまったり走り続けていきます。

高繁勝彦PEACE RUN 2012の軌跡

当店は、高繁勝彦さんのPEACE RUNに協賛し、Garmin eTrex30を提供させていただきました。

高繁さんがeTrex30で記録した軌跡は、こちらからご覧ください。
(データがあまりに膨大だったため、一部軌跡を間引きして表示しています)

→ 【北海道ステージの軌跡】
→ 【東北ステージの軌跡】
→ 【東海道ステージの軌跡】
→ 【四国ステージの軌跡】
→ 【九州ステージの軌跡】
→ 【日本縦断の軌跡(スタートからゴールまで)】

高繁さんのこれからの挑戦や、PEACE RUNについてはこちらも要チェック!

Peace Run Project

→ 【PEACE RUN公式サイト】

→ 【高繁勝彦さんTwitter @kaytaka】

高繁さんが、2011年に北米横断ランを達成した後のコメントはこちら!

→ 【高繁勝彦、PEACE RUNとDakota20について語る】

高繁さんが今回の日本縦断で使用されたeTrex30はこちら!

→ 【eTrex30について詳しく見る】

PEACE RUN